四分音符とその魅力について。

アイドルとごはんと、時々自分語り

人生で一番落ち込んだ日

どうも、加藤さんの「木曜日は本曜日」をやっと見ました、怠惰なシゲ担のしぶです。(おっそ)

今日は自分語りデーです。お付き合いください。

もともと自分の記録用というか自己満で書いてるからねこのブログ

 

実はわたくし、今までどん底まで落ち込んだ日があまりなくてですね。
大学受験で失敗した日も高校受験で失敗した日も(いうて行ける学校あったし)、バンドのオーディション落ちた日もバイトの面接落ちた日も(結果的に今のバンドに落ち着いたしバイト先もすぐ見つかった)、コンクールで予選敗退した日も、ちょっとは凹んだものの、翌日にはだいぶケロッとしてたんですね。

3年前の6月と5年前の6月はさすがに2週間くらいおかしかったし身体も壊しましたが。(わかる人にはわかる)

それが今年ね、生きてて初めてめちゃくちゃ落ち込みました。今日はその話。もう回復してきたので後で美談にするために書きます。まぁ周りの人がだいぶ助けてくれて、今はもう元気です。

 

3月27日月曜日

この日が、私が今までで一番落ち込んだ日です。

とりあえず全然関係ないところから話しますね(おい)。

私毎週ごとに、リングノートに予定と食べたものの記録を付けてるんですよ。毎日欠かさず。大学入ってからかな。以前どこかで、高橋みなみさんがAKB48総監督時代にやっていたスケジュール管理法です~って紹介してたやつなんだけど、ただの横罫線のノート1ページに1週間分の予定を書いて、私の場合はそこに付け足して隣のページにその日食べたものと体重(測り忘れなければ)を記録してて。授業のノートとか、次書くSSの構想とかもそのノートに一緒に書いてるので、まじでこのノートに今の私のすべてが詰まってると言っても過言じゃないみたいな。過言だよ。
で、そのノートにタスクリストとかうれしかったこととか使えそうなネタとか書いとくのが習慣になってるんですね。

それが突然ですよ。癖みたいに思ったこととか書いてたら、初めてこのノートに弱音を吐いてしまって。

今までも(それこそ5年前の6月とか)凹んだら自分のつぶやきをノートの端っこにぐっちゃぐちゃに書き留めて発散する癖があったんですけど、その時みたいな感じでつらつら書いてて、1ページ過ぎたところで我に返って。

あれ、わたしこんなに落ち込むことあるんだ、みたいな。

その時の手記がこちら。

3/27/Mon

学校を休んだ。生理痛が治まったら行く予定だったけど治まらなかった。あの人との別れからちょくちょく死にたくなる日があったけど、それより祖父の最期に会えなかったのが悔しくて、今までで一番死にたくなった。母がちゃんと身体壊さず仕事に行けてるか心配。祖母が無力感を感じてないか心配。これからだよって言ってあげたい。もう自由だよって言いたい。日本に心配事がたくさんあるのに、ここで死んじゃいたいって思う。矛盾に呆れる。死んでる場合じゃない。無心でWhiteLoveStoryのピアノ弾いてたら気がまぎれた。無心で弾いていい曲じゃないのに。眠れそうになくて日記をつけ始めた。あの人との別れどころじゃない。どうでもいい。それより私だ。自分の甘やかし方がわからない。とりあえずどうすればこの頭のざわざわが治るのかわからなくて、スマホの電源を切って、考えを整理するためにこれを書いている。多分書いてどうにかなるなら書いた方がいい。そういえばさっき落ち込んだ時の対処法を調べたら、何かに失敗したときの方法しかなくて困った。そういうのじゃない。私は大切な人をいっぺんに失った上に最期に会えなかったのがつらいんであって失敗だなんだじゃないんだよ。死にたくなった時の対処法も調べたけど実用的なのはなくて、そりゃGoogle先生もこんなこと聞かれたら困るよなと納得してしまった。好きなこととか気を紛らわせることを書き出してみたけどすぐにできるのはピアノくらいで、サウンドルームと自室を部屋着で行ったり来たりしている。WhiteLoveStoryを弾きすぎて、ここ3日で引くほど上達した。左手が腱鞘炎になった。ピアノとかフルートとか料理とか、スマホのゲームとかpixivとかはやってる間そっちに脳が集中するから、死にたいとか考えなくていいのでとても楽。授業中が怖い。集中させてくれない。pixivに復帰するか、ブログのネタでも考えよう。

そう、この日の前日の昼間に母親から突然電話が来てですね。落ち着いて聞いてくれと。おじいちゃん、亡くなったのよ、と。え、はぁ、うん。とかそんなことしかしゃべれなくて。久しぶりに家族に声聞かせるのに、相槌以外なーんにもしゃべれなくなってしまって。
あと二か月はオーストラリアにいる予定なので、49日には私参加できないじゃんとか、私が親戚中で祖父と一番仲良かったのにとか(祖母と祖父は母が学生の時から家庭内別居状態で、母も叔父も祖父とはまともにしゃべってなかった)、わたし祖父に会えるの一回忌まで待たなきゃいけないんじゃんとか、じゃあ49日に間に合うようにビザ変更してもらえないかなとか(大使館と学校の事業部にメールしたけど返信すら来なかった)、もういろんなことが頭を駆け巡って大変だったんですねこれが。ここまで身近な人がなくなるの初めてだったし。
自分でも引くほど泣いて泣いて、朝起きて、何もする気になれなくて(そもそもほぼ寝られてない)、学校休んで、とち狂ってこれ書いてたわけですよ。こわ。

あ、ちなみにある人との別れというのはむかーしゆるオタしてた元推しが亡くなったという話です。みんなもわかると思う。それが2月末ね。
ゆるオタとはいえ大好きだった人が亡くなるっていうのも初めての経験で、何日か経ってクラスメート(先輩含む)に「実は、、元推しが亡くなりまして、、、、」って話したら、「そっか、、呑もうか、、」って飲み会開いてくれて(オーストラリアだと18からお酒合法です)朝まで延々と大富豪しながらお菓子とお酒をたらふく飲んだりとか、いろんな友達がはやく立ち直るようにっていろんなところ連れ出してくれたり、日本の友達とオンラインのみしてもらったり、日本にいる大好きな先輩たちと電話も出来たりとか、周りにだいぶ助けられて、だんだん回復してきて。

って時にこれよ。オーバーキル?

あれ、私今年の年始に引いたおみくじ全部大吉だったのにな。あれ嘘だったんかな。それともこれから運気上がるんか?って思って思わずお財布にしまってるおみくじ見返したよね。ちゃんと大吉でした。

終わって落ち着いたから言えることだけど、やっぱり人が亡くなるって相当大きな出来事なんだなと。生きている以上避けられないし、すごく悲しいし大変だし。私はまだ学生だし今は一時的に海外にいて手が出せないから何もできてないけど、日本にいる家族たちは悲しみながらも働いてお葬式の手筈とか整えなきゃいけないわけでしょ?いやいや、大人たち大変すぎでしょ、とか。そうしてるうちにも私にEMSで日本食と手紙送ってきてくれたりとか身体壊してないかーとかこのテレビ録画したよーとか連絡してきてくれてて、やっぱ姉含め親って偉大だなーと意外なポイントで実感したりした。笑

なんだかんだ言って身体は壊してても学校は行けてて(というか単位は取れてて)、ご飯もちゃんと毎食作って食べてるし、家事もしてるし、何故かこっちのイベントでフルート吹く機会もいただいたりとかしてて。我ながら凹んでもまともに人間出来てるなーって感心してて。今ノート見返しても旅行行ったとき以外毎日何かしら作って食べてるのね私。えっすご。あと一番心配してた体重は日本いた時と変わってない。まじ日本食ナイス。

でもね、実はこのきつかった3月を乗り越えたらいいこともあって。一つは友達といった旅行ね。ハプニングもあったけどそのおかげで一人旅も出来て超楽しかった。今度レポ載せます。
あとpixivの投稿再開できた!ちょっと去年の9月くらいからお休みしてたんだけど、時間できたのもあって温めてたやつとか載せてます。目標は週1更新だけどまあゆるゆるやってる。マイピク申請が増えてきて超うれしいですね。勇気のある方は覗いてみてください。勇気のある方は、だからね。言ったからね!勇気をもって!!(うるせえ)

なにより凹んだ時はまじで友達に頼るのがいい。ここぞとばかりにすっごい遊びに誘ってくれる。マジありがたい。普段だとだるいな、、ってなる誘いとかでもマジありがたい。友達大事。

 

ま、要はかなり落ち込んだけど環境と時間の流れが全部解決してくれるよって話です(雑)

恐らくここまで落ち込むことも向こう1~2年はないと思うし。

留学期間もあと1か月ちょっとなのでね。楽しみたいと思います。

それではこの辺で。